大日本帝国陸軍 松本飛行場跡
2018.8.15


皇紀2678年8月15日。本日は戦後73回目の終戦記念日です。そして平成最後の終戦記念日でもあります。「毎年の終戦記念日には戦争遺跡を見学する」
という自分なりの目標を決めてから早いもので5年が経ちました。今回は長野県の松本市にある大日本帝国陸軍の松本飛行場跡をリポートしたいと思います。


かつて大日本帝国陸軍の松本飛行場があった松本市・笹賀地区

松本市の笹賀・今井・神林の3地区にまたがって造られたのが「松本飛行場」です。画像は菅野小学校に隣接する道路でかつては滑走路でした。


松本飛行場の歴史を語り継ぐ記念碑
 
菅野小学校の片隅に当時の松本飛行場の存在を語り継ぐ記念碑があります。飛行場の建設に至る経緯や見取り図などが解説されています。


松本飛行場の歴史
 

旧 陸 軍 飛 行 場

 太平洋戦争が激化してきた昭和18年(1943)10月、陸軍省から今井村役場に関係者が集められ、その
場で飛行場範囲が示された。その月のうちに笹賀国民学校に関係する地主が召集され、耕地・山林など
200町歩以上に及ぶ飛行場用地買収に調印させられた。10月には測量が始り、19年2月下旬から整地工
事が開始された。
 工事には、中信地区の翼賛壮年団をはじめ近傍の住民、学生、児童までが勤労動員され、さらには多く
の朝鮮の人々も動員されたため、その数は延べ十数万人であったと、終戦直後の新聞は伝えている。兵舎
や格納庫を建てるために動員された大工や鳶職は、広く南信一円にまで及んだ。
 陸軍飛行場が完成したのは昭和20年8月であるが、滑走路はそれ以前に利用可能であり、3月には当時
浅間温泉に滞在していた特攻隊の隊員達がこの飛行場から飛び立っている。また、「赤トンボ」とよばれる
練習機による訓練も行われていた。
 飛行場の施設は、現在の菅野小・中学校・住宅地の場所に事務所や6棟の格納庫等が集中し、その西
に現在の幅の広い道路と重なる滑走路、さらにその西に広がる広大な草地の方形区画部分、さらにその
南の松林の中に向かう誘導路と多くの掩体壕があった。
 本土爆撃がはげしくなると格納庫は目立つため、陸軍により2棟が破壊されたが、残りの4棟は、終戦時ま
で三菱重工業名古屋製作所の組立工場として使用された。
 終戦後、飛行場に使用された土地の多くは農地に戻され、かつての滑走路は、菅野小学校西側の道路
となり、格納庫などが置かれた土地は、住宅地となっている。また、格納庫などのコンクリート基礎の一部は
菅野小学校グラウンドの基礎を兼ねており、現在でも確認することができる。

   2012年8月                                      松 本 市
Wikiにも松本飛行場の記事がありますがやはり現地での解説文が一番詳しいですね。外国人にも理解してもらえる様に英語版も併記されていました。

戦時中なので地元の松本市民は勿論、南信地方の人間、そして朝鮮人など多くの民間人が建設作業に従事しました。「黒部の太陽」や「ひかりごけ」で
有名な映画監督の熊井啓氏も建設作業に関わっていたそうです。国から命令されれば嫌だとは言えない時代です。当時の人達の苦労がうかがえます。

この松本飛行場には「空541」という部隊が所属していたらしいです。旧日本軍の組織編制は複雑なのでこの部隊に関する詳細な情報は少ないのです
が、機会があれば調べてみたいと思います。他には記念碑の解説にもある様に特攻隊もこの松本飛行場に所属していました。より正確には松本飛行
場で訓練を行った特攻隊の隊員達が鹿児島県の知覧飛行場へ移った後に出撃したそうです。長野県と特攻隊を結びつける貴重なエピソードですね。


記念碑には当時の松本飛行場の敷地範囲が紹介されています

う〜ん、飛行場の範囲がちょっと分かりづらいですね・・・ という訳でペイントソフトを使って下図の様に色分けしてみました。


赤い線が旧陸軍の松本飛行場、水色の線が現在の信州まつもと空港、黄色い☆がこの記念碑の場所です

記念碑の見取り図や当時の航空写真などを照らし合わせると多分こんな感じです。飛行場の総面積は200ha以上、
正方形のエリアは四方が約1300mだそうです。(ちなみに戦後に造られた「信州まつもと空港」は59haとの事です)
滑走路の西側が広大な草地となっていたみたいで後々滑走路や格納庫を増設する計画があったのかも知れません。

旧陸軍の飛行場だったこの場所は戦後には住宅地や農地、「信州まつもと空港」など平和的に再利用されています。


6棟の格納庫やその他の関連施設など

松本飛行場には四式重爆撃機「飛龍」、百式重爆撃機「呑龍」、零式艦上戦闘機、九五式一型練習機(赤トンボ)など100機以上が配備されていたらしいです。
「100機超はいくら何でも多過ぎじゃないの? こんな田舎なのに?」とも思いましたが、特攻隊や爆撃機にとっての重要な活動拠点だったのかも知れません。
そして陸軍の飛行場なのにしれっと零戦が混じってます。「何で海軍機がココに・・・?」とも思いましたが、三菱重工の組立工場だった事が関係してるのかも。

他に意外なエピソードとしては陸軍の試作双発戦闘機「キ83」の初号機が終戦時まで試験飛行を行っていたのがこの松本飛行場でした。
日本の軍用機史上において”最高速度記録を誇る戦闘機”として研究されていたキ83。試作機が4機作られましたが、2〜4号機は事故や空襲で喪失しており
唯一残っていた試作1号機が終戦までこの松本飛行場で試験飛行を実施していました。終戦後に米軍に接収されたキ83はアメリカ製の良質なハイオク燃料を
使用して試験飛行を行った所、時速762kmという日米の軍用機の記録を塗り替える最高速度を記録したそうです。その後キ83はアメリカに移送された後に残
念ながら処分されてしまったそうです。史上最高速度を目指して開発されたキ83。最後に飛んだ日本の空がこの松本飛行場という歴史は中々名誉な事ですね。


かつて松本飛行場だった場所を見つめて・・・

松本飛行場の歴史を伝える遺跡や資料は多くなく、上述の記念碑以外だと格納庫や倉庫の基礎部分が菅野小学校のグランド基礎として流用されている位です。
それでも実際に現地を歩き、記念碑を見学し、歴史を調べる事によって松本飛行場に対する知識と理解がより深まりました。やはり自分で見て歩く事が大事です。

これにて松本飛行場のレポートは終了です。図書館で資料を調べればより詳細なレポートが書けたのですが、夏バテで体調不良気味なので今回はこの辺で・・・



信州まつもと空港


今回は大日本帝国陸軍の松本飛行場跡を見学したので「どうせなら戦後に飛行場跡地を利用して建設された信州まつもと空港を見に行こう!」と思い松本空港へやって来ました。


信州まつもと空港 (11:25頃)

かつて大日本帝国陸軍・松本飛行場だった場所は現在は「信州まつもと空港」として長野県民に親しまれています。戦後の平和的な有効活用ですね。

という事で信州まつもと空港に来ましたが「旧陸軍時代の飛行場と何か接点があるか調べよう」とか「空港としての歴史を調べよう」云々という話ではなく
ただ単純に旅客機でも撮るか〜という軽い気持ちで来ました。もうホントそれだけです。(それにしても天気が悪いですね。雲が厚過ぎる・・・)


新しく購入したレンズを装着
 
舞鶴サマーフェスタ2018でも軽く紹介しましたが最近新しいレンズを買いました。「PENTAX DA18−270mm F3.5−6.3ED SDM」というズームレンズです。
K-S2を購入してもうすぐ2年が経ちます。未だに撮影テクニックが未熟でお恥ずかしい限りなのですが、一眼レフについて色々な事が分かってきてレンズ交換が面倒くさい
「1本のレンズで広角から望遠までカバーしたい」と考える様になり今回の18−270mmレンズを購入しました。先述した通り初めて実戦に投入したのは舞鶴サマーフェスタ
だったのですが、AFが遅い&ズームリングが固いと感じて早々に使用を中断してしまいました。なので今回改めてこのレンズをテストしたいと思います。


着陸態勢に入るFDA202/JAL3545便 (11:40頃)

福岡空港から飛んで来たFDA202/JAL3545便です。本来の着陸予定時刻は11:35ですが、本日は台風15号が福岡県を直撃してたらしいので
その影響か少し到着が遅れたみたいです。そして松本空港も結構風が強くて若干機体が煽られてる様にも見えました。パイロットの腕を信じましょう。

ちなみに機は滑走路の北側から進入しています。航空ファンなら○○○みたいな感じの専門用語で表現するんでしょうね。その辺も今後勉強します。


着陸直前の様子

焦点距離80mm、F値11、シャッター速度1/200、ISO-200、露出補正+0.3、被写体までの距離約120m、少しだけトリミングしてます。

特にカメラの設定をいじらずにオートで撮ってみた結果です。プロから見たら失神レベルの写真なんでしょうが個人的にまぁまぁかなー(震え声)
ちなみに着陸の瞬間も一応撮りましたが・・・ どんどん遠ざかる機体に対してズームリングの操作とAFが追い付かず上手く撮れませんでした。

余談ですが「JA05FJ号機」は2017年に福岡空港(佐世保基地)に行く際に乗った機体ですね。飛行中の様子を外から見るのも面白いです。


ターミナルにて乗客の乗降など

松本空港に到着したFDA202/JAL3545便は乗客を降ろしたり燃料を補給したりしながら次のフライト(北海道行き)に備えます。

自分のいる位置からターミナルまでは約1200mあります。で、写真は焦点距離58mmで撮影した物をかなりトリミングしています。
最大望遠端の270mmでも撮影してみましたがAFが安定せずボケボケのひどい写真になってました。このレンズは遠距離が弱い?


札幌(新千歳空港)行きのFDA211/JAL2852便
 
新たな乗客を乗せた同機はFDA211/JAL2852便へとダイヤを変更。画像は滑走路を北へタキシング→滑走路北端で方向転換してる様子です。


離陸直前のFDA211/JAL2852便 (12:25頃)

本来の離陸予定時刻は12:05ですが先述の台風の影響で北海道便も離陸が遅れています。ただ飛行機は安全運行が絶対優先なので多少の遅延は仕方ないです。


離陸 (12:26頃)

滑走路の北端から発進した同機は順調に加速、無事に離陸した後に方向転換し北海道方面へ飛び立って行きました。2017年に同機に搭乗した際は
興奮と緊張で「ちょっと殺人的な加速だ!」とか恥ずかしい事を言っちゃいましたが、次に乗る時は身体と心を順応させてエレガントに搭乗したいですね。


松本空港で見かけたその他の航空機など
 
民間向けの安価なヘリとして有名な「ロビンソン R22」です。かつては「この機体なら何とか購入・維持できるかも・・・」と夢見てた時期がありましたねー。

右は長野県警察航空隊の「やまびこ2号」(アグスタウェストランドAW139)です。離陸した場所が遠過ぎて上手くAFが合わず綺麗に撮れませんでした・・・


という訳で信州まつもと空港のレポートはこれにて終了です。今回は新しく購入した18-270mmレンズのテストを兼ねて航空機を撮影してみた訳ですが・・・ 
本体(K-S2)とレンズの性能がミスマッチなのだと思います。上述した通りAFがやや遅い&遠距離の被写体にピントが合いません。
レンズ自体は良い品なのですが、本体(K-S2)のAF性能が追い付いていないのだと思います。そろそろワンランク上の機種に買い替えるべきなのかな・・・?


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