横須賀と機関科と百里でハッピー!
2019.11.29〜12.1


他記事でもしつこく述べていますが「退役が迫るF-4の勇姿を記録する」というのがここ数年における自分の活動目標です。という訳で今年も「百里基地航空祭」に参加すべく
計画を練っていたんですが、ふと気になって直近の自衛隊イベントを調査した所、前日の11月30日に横須賀にて「第2術科学校オープンスクール」が開催される事が判明。
「2術科のオープンスクールかー。18年くらい前に行った記憶があるけど・・・ 当時の事は全然覚えてないから改めて行きたいなー」という事で横須賀→百里の旅程を検討。
更に10月の観艦式中止の件もあり「改めて横須賀に行って艦を見たいな。あと折角だから猿島も行ってみたい」と色々な欲望が浮上。日程やルートを色々と検討した結果、
【1日目】横須賀で猿島と三笠と軍港めぐり→【2日目】第2術科学校オープンスクール→【3日目】百里基地航空祭という大規模な作戦を計画。
そして困難を乗り越えて幸福を得る今回の作戦を(ハイスクール・フリートにちなんで)「横須賀と機関科と百里でハッピー!」と命名する事にしました。



横須賀 猿島 観光
2019.11.29

まずは1日目の横須賀の観光リポートからお送りします。前日28日の22:00に(逃れられない残業や家庭の用事を済ませてようやく)自宅を出発。
甲府昭和IC→談合坂SA(休憩)→八王子JCT→海老名JCT→横浜町田IC(¥2560)→朝比奈IC(¥600)というルートで横須賀へと向かいます。


横須賀に到着 (7:30頃)
 
約2ヶ月半ぶりの横須賀訪問です。今回は最初の行動予定が猿島上陸なのでポートマーケット近くのパーキングに駐車しました。(ちなみに本日は有給休暇を取得してます)
横須賀は過去何度も訪れていますがこの辺のエリア(猿島への運航船乗り場)は初めてかも。シーフレンド1や8が係留されており横須賀の新たな一面を発見した気分です。


猿島への航路を求めて
 
今回乗船したのはこちらのシーフレンドゼロです。定員240名の双胴船です。ちなみに往復乗船料1400円+入園料200円がかかります。


猿島へ向けて出航!
 
8:30発の第1便に乗って出航。約10分の短い航路ですが「双胴船って結構揺れるんだね〜、喫水が浅いからかな? あと風が強くて寒い!」というのが第一印象でした。


猿島へ上陸
 
おぉ〜、これが猿島か! 素晴らしい無人島じゃないか! 初めて猿島に上陸しましたが冒険心を刺激する良い感じの無人島ですね。

お恥ずかしい話なんですが実はつい最近まで猿島の事を全く知らず、初めてその存在を知ったのがハイスクール・フリートでした。劇中においてインディペンデンス級に
酷似した「さるしま」という艦が登場するんですが、「さるしま・・・って元ネタは何だ? 掃海艇と同じでどこかの島だよな?」と調べた結果が今回の訪問のきっかけです。


かつては海上要塞であり現在はレジャーで賑わう無人島
 
猿島の概要を簡単に説明すると明治時代に首都東京や横須賀海軍基地を防衛する為に日本陸軍によって設けられた「東京湾要塞」の内の1つであり、1881年(明治14年)に
「猿島砲台」として築造されました。終戦後は要塞としての役目を終えて公園や海水浴場として再整備され現在では自然豊かなレジャー島として多くの観光客に親しまれています。


実はかなり古い歴史と独特の文化を誇る猿島
 
島内には縄文時代や弥生時代の遺跡が存在するとの事でかなり古い時代から人々が居住していたであろう歴史をうかがう事が出来ます。その後1847年に
江戸幕府によって日本初の台場が築造されたり明治時代に軍部によって砲台が築造されたりと幕末〜明治・大正・昭和にかけて近代化した歴史があります。
そして近代化に際して西洋の技術を大幅に取り入れた結果、歴史的価値の高い建造物等が多数残る島となり、2015年に「国指定史跡」に認定されました。


陸軍と海軍の歴史を紡ぐ島
 
上述通り明治14年に陸軍が砲台を築造した事をキッカケに東京湾要塞としての歴史を歩み始めた猿島。左画像は1895年(明治28年)に造られた発電所です。
建物内部には汽罐室や石炭庫、貯水槽等があり蒸気機関(ボイラー)によって発電していたそうです。離島なのでこういう生活インフラ設備の整備は重要ですね。
こうして陸軍によって開発が進められましたが、関東大震災をキッカケに陸軍の管理から離れ1925年(大正14年)からは海軍が管轄する様になったそうです。


猿島の景色
 
それでは猿島を歩いてみましょう。画像は島の南東に位置する春日社跡という場所です。横須賀の陸地や東京湾の出入り口を見渡せる好条件な場所ですね。


山を切り拓いて作られた通路
 
島の山中にはこの様な通路が整備されており砲台や兵舎へのアクセスを容易にしています。迷路の様に入り組んでいて非常に面白いです。


猿島のメインロード
 

 
島の南北を繋ぐ広い通路で露天掘り幹道と呼ばれています。通路の左右には兵舎や弾薬庫、便所等が並んでおり正に生活道路という感じです。

それにしても平日に有給休暇を取って朝一番で上陸した甲斐あって見事に誰もいません(笑) この素晴らしい無人島を独り占めしてる気分です。


改めて猿島の歴史や構造を学ぶ
 
島全体が植物に覆われ深く掘り込まれた通路や施設は外部からの視認が難しく、猿島は要塞として優れた立地条件を有していました。しかし関東大震災による被災、
航空機や長距離砲の発達により要塞としての有用性が低下し実戦を経験する事無く終戦を迎えました。なので比較的良好な状態を保った貴重な戦争遺跡と言えます。


ラピュタの雰囲気を連想させる島
 
左画像は兵舎(その1)です。残念ながら内部は見学出来ず。猿島は砲台築造時にフランスから技術指導を受けており、要塞らしからぬ(?)お洒落な作りとなっています。

そして猿島はその雰囲気が「天空の城ラピュタ」に似てると言われアニメファンにも人気です。例えば右画像の壁穴など劇中終盤でパズーが逃げ込んだ穴にそっくりです。


第二砲台関連の施設
 
左画像は第二砲台へ通じる階段です。見ての通り草木や苔に覆われて通行不可となっており終戦からの長い時の流れを感じさせます。

右画像は弾薬庫です。第二砲台の直下に位置し24cm加農砲の弾薬を保管していた様です。他にも同様の弾薬庫(後述)があります。


当時の兵士たちの生活や如何に・・・?
 

 
兵舎や便所など兵士の生活に関する設備がありますがこの辺の説明が不足気味だったのが残念。部隊の人数とか勤務体系とか食事内容とか知りたかった・・・


意外と高機能(?)だった弾薬庫
 
第二砲台・24cm加農砲の直下に位置する弾薬庫です。内部には弾薬用エレベーターや伝声管が存在しており意外と機能的な構造でちょっと感心しました。


明治時代から育まれてきた貴重な文化遺産と現代人の愚行による傷跡
 
改めて通路の壁面をじっくり見ると綺麗に積まれた石垣、長い年月をかけて成長した木の根や苔など侘び寂びを感じさせる景観が広がっており心が癒される気分です。
一方で心無い人間によって壁面が傷付けられ痛ましい状態になってる箇所も。この傷跡が苔で埋もれて目立たなくなるまで数百年かかるはず。犯人には天誅が下れ!


ヨーロピアンな雰囲気が漂うトンネル
 
島の中央に位置する全長約89mの隧道(トンネル)です。レンガ造りの壁面、ぼんやりとした照明、薄暗い通路などヨーロッパの古都の様な雰囲気です。
隧道の西側にはいくつもの開口部がありこれらは弾薬庫(後述)に繋がっています。絵面的にラピュタのロボット兵が格納されていた通路に似てますね。
本来なら要塞としての硬派な隧道なんですが、その独特な雰囲気が男女の恋愛感情を昂らせるのか現在では「愛のトンネル」とも呼ばれているそうです。


主弾薬庫としての役割も兼ねる隧道
 
隧道の西側は2階建てレンガ構造の地下施設となっています。かなり広い空間となっており猿島砲台におけるメインの弾薬庫や倉庫として使われていたらしい。
この開口部(階段)は島の西側斜面にも繋がっており司令所や照明所への連絡通路でもありました。こういう風に要塞を立体的に見学・勉強するのは楽しいね。


フランスの建設技術が息づくトンネル
 
国指定史跡にもなっている猿島の特徴の1つがこのフランドル積(フランス積とも)という工法です。日本では幕末から明治にかけてレンガによる建築工法が普及し始めました。
レンガの積み方には主に「イギリス積」と「フランス積」がありますが、フランス積の建築物は猿島を含めて全国に4件しか確認されておらず大変貴重な歴史的遺産との事です。


隧道を出た先にある三叉路
 
隧道の北側出入り口は三叉路となっており、右画像の立ち入り禁止となっている場所には第一砲台関連の施設や兵舎、島の東側へ抜ける隧道がある様です。

余談ですが猿島は仮面ライダーのロケ地(ショッカーの秘密基地)としても有名らしく、確かにこの風景は「世間から秘匿された悪の秘密基地っぽさ」があるね。


隧道であり弾薬庫でもあり掩体壕っぽくもある構造物
 
説明によると弾薬庫を利用したトンネルとの事ですが片側の出入り口がかなり広めに造られており、大きな物資の保管や掩体壕としても使えそうです。


8cm高角砲の砲座跡
 
案内図によると猿島砲台では島の北東部に計4門の「8cm高角砲」を配置していたみたいです。旧日本軍の砲は専門外なのでよく分からん・・・


島の東端にある卯ノ崎台場跡
 
江戸幕府(当時)が江戸湾への異国船侵入を防ぐべく弘化4年(1847年)にこの場所に3門の大砲を設置していたそうです。ちなみに嘉永6年(1853年)には
ペリー提督率いる黒船艦隊がこの猿島脇を通過しています。猿島砲台は明治〜昭和時代のエピソードが多いのでこういう幕末時代のエピソードは貴重ですね。

海岸に降りる階段があったのでちょっと下ってみたのですがゴツゴツとした岩肌と激しく打ち寄せる荒波により危険な状態となっており、更に猛毒のヒョウモンダコ
まで生息してるとの事なので途中で引き返しました。東京湾を監視・防衛する要塞として中々良い場所にある猿島ですが敵の上陸に対する防御環境も中々です。


猿島は「独立国家」として成立しうるか?
 
こちらは島の北部にある8cm高角砲の砲座跡付近ですが先の台風19号の影響でこれより先は通行止めとなっていました。ちなみにこの先には「日蓮洞窟」という古代遺跡
があるそうです。上述の通り猿島は縄文時代から人々が居住していたらしいですが・・・ 現状において(法的な問題は抜きにして)「独立した島」として生活は可能なのかな?

そう言えばハイスクール・フリート劇中においてココちゃんが「我々は猿島を独立国家として宣言する!」みたいな痛い妄想台詞を言うシーンがありましたねー。実際に島内を
歩いた感想としては土地面積や動植物、各種遺跡の再使用等はOKそうですが、現代的かつ文明的な生活を望むなら電気や水道等のインフラ整備と食糧調達が課題かな。
(と言うか「艦隊バトルでピンチ!」の「南の島でサバイバル」みたいな感じではいふりの可愛い女の子達とTo LOVEるしながら2〜3週間短期滞在するくらいが丁度いいかな)


複雑に入り組んだ通路が冒険心を刺激する猿島
 
猿島探検も終盤に近づいてきましたが複雑に張り巡らされた通路や隧道は島の全体像を把握させる事を困難にしており実に探検し甲斐があります。
右画像の立ち入り禁止の場所は内部が完全な暗室になってるらしく、「暗闇における視神経細胞の適応と変化?」を体験する事が出来る部屋らしい?


かつて東京湾の監視に眼を光らせていたであろう建物
 
山頂付近には監視塔らしき建物がありました。案内板が無かったのでハッキリとは断言出来ませんがこれが司令所もしくは照明所だと思います。
内部は立ち入り禁止でしたが隙間から中を覗くとコンクリート製の立派な内装が比較的綺麗に残っており、かつての面影を見る事が出来ました。


東京湾や横須賀を一望出来る山頂
 
山頂は広々とした展望台広場となっており(生い茂る木々によって一部視界が遮られますが)東京湾や横須賀・横浜などを一望する事が出来ます。


猿島から見えるモノ
 
猿島砲台は東京湾の監視と防衛を目的に整備されたので湾内を航行する船舶は勿論ですが、富士山や東京スカイツリーまで見る事が出来て驚きました。
更に羽田空港(?)に発着する飛行機が島の上空を通過するので航空機の監視や観測も可能。東京湾を監視する要塞として中々良好な立地と言えます。


4種類(?)の砲を備えていた猿島砲台

最後に紹介するのは展望台広場の南側にある12.7cm高角砲座跡です。コンクリート製の砲座がしっかり残っておりかつての勇姿を想像させます。
猿島砲台の武装について調べてみると27cm加農砲、24cm加農砲、12.7cm高角砲、8cm高角砲の4種類の砲が配置されていたみたいです。


帰りの船を待ちながら浜辺を散策
 
これにて猿島の探検はほぼ終了。砂浜をブラブラと散歩しつつ帰りの船を待ちます。小さな砂浜ではありますがシーズン時には海水浴やBBQで賑わうらしいです。
そして余談ですがこの砂浜は「ハイスクール・フリート OVA」のパッケージ絵のモデルにもなってるそうです。はいふり好きにとっても猿島は中々楽しめる島でした。


約2時間の滞在を終えて離島 (10:45頃)
 
帰りの船からどんどん遠く小さくなる猿島を見てると正にラピュタ終盤のパズーとシータと同じようなちょっと切なく名残惜しい気持ちになってしまいました・・・
同時にこの過去の歴史を紡ぐ自然豊かな無人島を守り語り継ぐ事こそが我々現代人の使命なのではないかとも思いました。今回初めて猿島に上陸・探検
しましたが歴史とロマンが溢れる素晴らしい無人島で大いに楽しむ事が出来ました。拙いリポートだったかとは思いますがその魅力が伝われば幸いです。


いつか内部を見てみたい自動車運搬船
 
帰りの航路で見かけたこちらはノルウェーの自動車運搬船らしいです。多数の自動車を積載する為に船体容積がかなり大きい(乾舷が高い)ですね。


横須賀の特産品が揃うポートマーケット
 

 
猿島の次はポートマーケットを訪問。港町らしく海鮮物が豊富なのは勿論ですが他にも地元産の野菜やスカジャン等のお土産も売られており彩り豊かな市場となっています。

そして店舗内にはご当地アニメであるハイスクール・フリートのポスターなども展示。実はこの場所を訪れた個人的な理由がクロちゃん(+ミナミさん)のパネルを見る事です。
ハイスクール・フリートは40人以上の美少女船乗りが登場しますが自分はクロちゃんが一番好きなんですよ。生真面目で厳しい性格だけど実は仲間想いで面倒見がいい所、
思い込みが激しくてちょっと暴走しがちな所、長身とウェーブ髪という美麗なスタイル、機関助手としての責任感溢れる仕事ぶり、シロちゃんへの百合描写等が魅力的なんだ。



「三笠」 見学


横須賀が誇る記念艦 「三笠」
 
次は横須賀の観光名所として有名な「三笠」を見学です。「三笠」を見学するのは約16年ぶりかな? 世界三大記念艦と呼ばれる「三笠」を改めて見てみましょう。


艦の外観からその歴史や設計思想を探る
 
敷島型戦艦の四番艦としてイギリスのヴィッカース社で建造され明治35年(1902年)に竣工した「三笠」。当時はまだ日本の軍艦建造技術が未熟だったので
イギリスに建造発注した事、現在の令和より4つも前の時代である明治時代に建造・活躍した艦である事などヒストリカルなエピソードが多いですが、特に有名
なのが1904〜1905年の日露戦争において時の連合艦隊司令長官である東郷平八郎が乗艦して旗艦として奮闘しロシア帝国に勝利したエピソードですね。


日露戦争で活躍した「三笠」
 
日露戦争における詳細な戦闘内容の説明は省略しますが、東洋の小さな島国である日本が大国であるロシアに勝利した事により列強国入りを果たし、
その後国が大きく発展する事となりました。この様に日本の歴史においてエポックメイキングな存在となった「三笠」。記念艦としての保存にも納得です。


「三笠」の性能はどれ程だったのか?
 
「三笠」のスペックを調べてみると全長122m、全幅23m、排水量15140t、機関出力1万5千馬力、速力18ノット、乗員860名という感じです。
100年以上前の軍艦なので現代艦との比較は出来ませんが当時としては優秀だったのでしょう。本来ならばこのまま乗艦して艦内の細部まで見学・勉強
すべき所なのですが、今回はスケジュールの都合により乗艦せず外から外観を眺めるだけに留まりました。乗艦しての見学はまた別の機会にでも・・・


当時の戦闘における要求性能を感じさせる設計思想
 

 
次は「三笠」の武装をチェック。主砲として30cm連装砲×2基、副砲として15cm砲×14門、8cm砲×20門、そして45cm魚雷発射管×4門、その他という感じです。
この時代の砲に対しては理解が乏しいのですが当時の海戦は砲による撃ち合いが主であり、舷側面にまで砲がびっしりと配置された姿に当時の設計思想を感じます。


日露戦争において大日本帝国海軍を勝利に導いた名将として名高い東郷平八郎の勇姿
 
自分は旧日本海軍の歴史・組織・装備・軍人に対する知識が乏しいのでこの場において立派な意見は言えませんが、海自ファンとして偉大なる海軍軍人
である同氏への理解を深める事は半ば義務でもあり、東郷氏と言えば舞鶴とも所縁が深い人物なので今後改めて勉強・理解したい所存で御座います・・・


令和の現代にも語り継がれる「三笠」の功績と日本海軍の誇り

自分は「海上自衛隊は好きだけど大日本帝国海軍はそれ程好きではない」というやや特殊なスタンスなので、今回の「三笠」見学でも旧海軍の
歴史や伝統、そして当時の水兵たちの想いを十分に理解したとは言い難いですが、艦船好きとしては非常に有意義で価値のある見学となりました。


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