海上自衛隊 呉史料館 (てつのくじら館)
2016.5.4

「Operation M.K.I」の2日目は軍港として名高い広島県の呉基地を訪問です。

ルートは舞鶴西IC→西紀SA(休憩)→吉川JCT→福崎IC→福崎南→吉備SA(休憩)→高屋JCT→阿賀ICという感じ。

途中の吉備SAの桃太郎

岡山県と言ったら桃太郎だよね。他の名物は・・・ ゴメン、あんまりよく知らない。
他に強いて言うなら島田フミカネ先生の出身地とか。(←スト魔女ファン的感想)

こうして京都、兵庫、岡山、広島と西日本を走り抜けてきた訳ですが
京都→広島ってすごくスゴい遠いんダナ・・・(東日本民的感想)
自分の主な行動範囲は東日本なので西日本の地理とか距離感がよく分からず余計にそう感じました。

そして長距離走行という事は多少のアクシデントも。例えば途中の西紀SAで盛大に寝過ごしてスケジュールが狂ったり、
山陽自動車道の路面状況が素晴らし過ぎて倉敷の辺で”最高速度”を記録したり・・・ いやはや、色々と危なかった。

という訳で呉市には07:15頃に到着。舞鶴からの走行距離は約380kmで高速料金は5850円でした。

呉市(広島県)に来るのは2008年の家族旅行以来なので実に8年ぶりです。
(※余談ですがGPSアプリによると2012年7月23日に仕事で付近を通ってます)


すき家で朝食 うな牛おしんこセット

「朝からウナギとかHEAVYじゃねぇか!」とか言われそうですが、元々ウナギは大好きだし
がっつりエネルギー補給したかったんで注文。何気に今年初めて食べるウナギですね。

こうして朝食を済ませた訳ですが、時間が中途半端だったので付近を探索する事に。
(ちなみに探索と言っても徒歩ではなく車での移動です。昨日の舞鶴での教訓ですね。)


とりあえず近くにある「呉基地」を軽く下見する事にしました。
実は呉基地を実際に見るのは今回が人生初だったのですが・・・
うぉぉぉ!? 何ここスゲェェェェ!!!
潜水艦と護衛艦のパラダイスじゃん!!!

停泊中の潜水艦や大量に並んだ護衛艦など驚愕の光景が広がってて凄まじく感激&興奮しました。

生憎車を運転中だったのでじっくり写真は撮れなかったのですが、信号待ち中に何とか撮った1枚がコレ↓

幸運にも08:00の国旗掲揚のシーンを写真に収める事が出来ました。これは「そうりゅう型」の甲板ですね。

「呉基地」については午後に改めて訪問し、詳細なリポートを作成しているのでそちらをご覧下さい。


という訳で呉基地を見た興奮を抑えつつ、当初の目的である「てつのくじら館」の見学準備です。
付近にある大和ミュージアムの駐車場に車を停めます。確か2008年もここに車を停めてますね。

軍港らしく様々な船が停泊しています。昨日の舞鶴と違い、お洒落で近代的な港町ですね。(←オイ)
写真では分かりずらいですが中央に練習艦「TV-3513 しまゆき」が停泊(整備)しています。


そしてやって来ました「海上自衛隊 呉史料館」 通称「てつのくじら館」

実物の退役潜水艦「あきしお」が相変わらず凄まじいインパクトを放っています。8年ぶりの再会に心が躍ります。
我々県外の海自ファンから見れば感動の光景ですが、地元民からすれば見慣れた風景なんでしょうね。羨ましい。


それでは「ゆうしお型潜水艦 7番艦 あきしお」を見てみましょう。

まずは基本スペックの紹介
艦級ゆうしお型(全10隻) 7番艦
建造三菱重工業 神戸造船所
進水1985年1月12日
就役1986年3月5日
退役2004年3月3日
排水量基準:2300t 満載:2900t
全長76m
全幅9.9m
喫水7.4m
機関川崎重工業/MAN製 
V8V24/30AMTL ディーゼル×2基
SG-4型主発電機×2基
SM-4型主電動機×1基
蓄電池×480個
出力水上:3447馬力 水中:7300馬力
速力水上:12kt 水中:20kt
潜航深度約450m
乗員80名(幹部10名 曹士70名)
兵装HU-603 533mm魚雷発射管×6門
80式魚雷やハープーンなどを20発搭載
レーダーZPS-6(水上)
ソーナーSQS-36(アクティブ) ZQQ-4(パッシブ)

うん、名称や数字ばかり見てもよく分からないですね。という訳で実物を見ながら確認していきましょう。


左舷

潜水艦と言えば海に潜航して行動する乗り物なので、水中抵抗を減らす為に曲面で構成された船体が特徴です。

旧帝国海軍の「伊号」や、昭和40年代までの潜水艦は水上航行性能を重視した水上艦の様な船体でしたが
1971年に就役した「うずしお型」より水中航行性能を重視した「涙滴型」と呼ばれる流線形の船体になりました。
今回紹介してる「ゆうしお型」は「うずしお型」の後継艦であり、「第2世代涙滴型潜水艦」とも呼ばれています。
潜水艦の船体形状の変化の歴史については次のページでも紹介していますのでそちらも合わせてどうぞ。

船体には「NS80高張力鋼」(降伏耐力80kgf/平方mm)という素材が使用されており、
これによって「ゆうしお型」の潜航深度は約450mに達するとの事。
(※Wikipediaにも載ってるほぼ公然情報だから紹介しても大丈夫だよね・・・?)


艦橋(セイル)

潜水艦における唯一とも言える突出部分であり、潜望鏡やレーダーの収納、乗組員による哨戒など重要な部分です。

セイル横には立派な潜舵(セイル・プレーン)が張り出しており、私的には「これぞ潜水艦のコンベンショナルなスタイル」
という認識なんですが、世界各国の潜水艦を見ると艦首に装備してる艦(バウ・プレーン式)の方が多い気がしますね。

そもそも潜水艦の潜舵の位置は艦橋(セイル)と艦首(バウ)の2種類がありますが
それぞれとメリット・デメリットは何なのか? 調べてみると以下の様な感じでした。
艦橋(セイル・プレーン)艦首(バウ・プレーン)
メリット・艦首に装備されたソーナーへの雑音を軽減できる
・接岸作業時に接触・破損しにくい
・水中での運動性能が艦橋式に比べて優れる
・北極圏にて氷を突破・浮上する際に破損する心配が無い
デメリット・水中での運動性能が艦首式に比べて劣る
・北極圏にて氷を突破し浮上する際に破損する危険がある
・艦首のソーナーへの雑音が増える
・艦首部にソーナーや潜舵が集中し内部構造が複雑になる
採用例うずしお型・ゆうしお型・はるしお型・おやしお型・そうりゅう型
ロサンゼルス級(フライトU以前)・オハイオ級
ロサンゼルス級(フライトV以降)・シーウルフ級・バージニア級
トラファルガー級・キロ級・シエラ級・タイフーン級
艦首ソーナーへの影響と北極圏での活動(砕氷)で設計思想が分岐してる感じですね。


上述の通りセイル(艦橋)には重要な各種機器が集中しています。その辺をちょっと調べてみました。

第2潜望鏡(夜間用兼哨戒用)
第1潜望鏡(昼間用兼攻撃用)
通信アンテナ(?)
SQS-36 アクティブソナー
魚雷警報装置
航海灯
汽笛
(参考資料:世界の艦船 他)

「世界の艦船」とかで結構大々的に公開してる情報だから紹介しても大丈夫ですよね・・・?
潜水艦は機密情報の塊であんまり深く追及するとヤバそうなので細かい説明は省略しますが
アクティブソナーはそこに付いてんのかよ!と思わずツッコミました。

他に注目したいのが潜舵端の「航海灯」です。これは右舷側が緑左舷側が赤と決まっています。
(業界用語では「Port is RED Starboard is GREEN」とも言われています。意味や由来などはいずれ・・・)
左右で違う色の航海灯を装備し、夜間や濃霧など悪天候時に周囲に自艦の位置や進行方向を知らせる為です。

更に余談ですが航空機にもこのルールが適用されており、主翼の翼端灯も同じカラー設定になっています。


艦尾  縦舵  横舵  スクリュープロペラ

現役稼働時は完全に水中に没している為に見る事が出来ない艦尾部。地上展示艦ならではのありがたい光景です。
潜水艦は水中を3次元航行する艦なので縦方向と横方向の舵を備えています。構造的に航空機の尾翼と同じですね。

そして潜水艦の最重要機密の1つであるスクリュープロペラ。潜水艦は音を探知して行動するので
水中騒音の発生源であるプロペラのデザインは特殊な物となっています。現代潜水艦のプロペラは
「ハイスキュー・プロペラ」と呼ばる大きな後退角と流線形のラインを持つプロペラで、
その原型は1973年(※)に完成しています。(形状については画像検索で出るのでそちらを参照)

海自の潜水艦では「ゆうしお型」からハイスキュー・プロペラが採用されています。
画像の「あきしお」も本来(現役時代)ならハイスキュー・プロペラを装備してたんですが
機密保持の為「水上艦と同様の一般的な形状のプロペラ」に付け替えられています。

(※)岡山県にある「ナカシマプロペラ」のホームページより。余談ですが日本の
潜水艦のプロペラは全て「ナカシマプロペラ」で製造されてるそうです。


前甲板    HU-603・533mm魚雷発射管

潜水艦の唯一の攻撃手段である魚雷の発射口です。左右3ヶ所づつ、合計6門の発射管です。
型式的には「HU-603」というらしい? 名前の通り発射管の内径は533mmとなっています。
ここから72式魚雷、80式魚雷、ハープーン、(そして時代や状況によっては人間)を発射します。

発射口のカバーがちょうど銃の弾丸の様な形をしているのでガンマニアとしても親近感を感じますね。
発射の際はカバーの前端をヒンジとして後端が船体の内側に沈み込んで開口する構造みたいです。

他に気になる点と言えば乾舷に刻まれた喫水目盛りとか。「ゆうしお型」の喫水は7.4mなので
水中に没してる部分が如何に大きいかを実感させます。(と言うか黒と赤の境界線が紛らわしい)

それにしても前甲板の塗装の色褪せが悲しいですね。呉史料館がオープンしたのが2007年なので今年で9年目。
野外展示なのでその間ずっと雨風に晒されていた結果です。今後修復(リペイント)予定とかあるんでしょうか・・・?


アンカー

潜水艦は水中を航行するので水中抵抗を減らす為にアンカー(主錨)も特殊な形状をしています。
俗に「マッシュルームアンカー」と呼ばれ、航行時は船体にピッタリと収納される様になっています。

と言うか個人的には船体内部における錨鎖庫の占有スペースが気になる。



さて、「あきしお」の外見もざっとチェックし終わったのでいよいよ艦内・・・じゃなくて館内に入ります。

入口正面の壁には「海にかける使命 海を守る熱き思い」と書かれています。いい言葉だ・・・


ちなみに入館料は無料です。素晴らしい! ありがとう海上自衛隊!

 もし自分が広島県民だったら毎月の様に来たいですね。地元の海自ファンには癒しスポットになってそう。


海上自衛隊、と言うか呉基地の歴史を紹介

簡単に歴史を解説すると1889年(明治22年)7月1日に日本海軍によって呉鎮守府が設置されたのが始まりです。
軍艦の在籍数や軍港としての規模、造船所の建造技術は横須賀に匹敵し、「東洋一の軍港」と呼ばれていました。
1945年(昭和20年)の終戦の後も中国・四国地方における重要な海上防衛の拠点として活動が続いています。



呉史料館の1階はあくまでエントランスであり展示フロアは2階からになります。

という訳で2階へ。2階の主な展示物は機雷掃海をメインとした物となっています。



機雷掃海か・・・ 海上自衛隊にとって重要なミッションの1つなのは間違いありませんが
個人的には関心が薄いジャンルですね・・・ とりあえず展示品を見ながら勉強していきましょう。


掃海作業で使用する機材など

機雷はワイヤーにより海中に留まってる構造の物が多いので、そのワイヤーを切断する為のカッターなど。

右側の紹介パネルにて遠隔操縦式掃海具1型「SAM」という機材が紹介されています。
掃海管制艇によって誘導される無人掃海具ですが、この写真の個体のSAMの船体には
小さくて見えませんが「NAMIE」と書かれています。サムの船体に描かれたナミエの文字。
案内員の説明曰く「当時の隊員さんが安○奈美恵とSAMの関係を描いた物」だそうです。


作業服

自分は海自ファンなので隊員の作業服(ユニフォーム)はかなり気になる装備品の1つ。という訳で
ウキウキしながら見学したんですがコレ、かなり古いタイプの作業服ですね。
上衣がファスナー式になってる、両肩の肩章布が無いなど現代の作業服とは異なる点が多いです。

カポック(救命胴衣)のデザインは現代の物とほぼ同じ、昔から変わってない感じですね。
ヘルメットは陸海空共通の「88式鉄帽」です。海自向けなのでグレーに塗装されています。


水中処分員

機雷を安全に処分するには遠隔操縦式の掃海用機器などを使うのが理想ですが、それらが不可能な場合に
活躍するのが水中処分員です。ウェットスーツや酸素ボンベを装備したダイバーが人力で機雷の処理を行います。
ただでさえ活動が制限される水中という環境で機雷の処理をする。海自内でも潜水員は特別な人達ですね。


20mm機関砲  「JM61-M」

掃海艇に搭載されている機雷処理用の火器です。ワイヤーを切断し海面に浮上した機雷を物理的に破壊します。
ファランクスなどでお馴染みの「M61 バルカン」を日本がライセンス生産した物(JM61A)をベースとしており
射撃速度を450〜500発/分に落とし人力で撃てるように改造してあります。本来は機雷破壊用の装備ですが
元々が20mm機関砲なので水上戦闘もイケる!と個人的には確信してます。

ちなみに作業効率(確実な破壊処理)があまり良くないらしく、近年は使用頻度が減ってきてるらしい。


右側面

右側面に設けられた排薬口(エジェクションポート)及び大型の空薬莢回収袋が目立ちます。
同じM61シリーズでも航空機搭載型やファランクス型は空薬莢を弾倉内に戻す構造なので
こうして空薬莢がバラバラと排莢される構造はいかにも人力操作用の改造型って感じです。


トリガー部分

がっつり体を固定する為の肩当て/ショルダーレスト(という名称でいいのかな?)が逞しいですね。

機関部後端には「入/切」 「発射/安全」 「解放/鎖錠」などと書かれたスイッチが並んでいます。
「入/切」は電源、「発射/安全」はセーフティー、「解放/鎖錠」は遊底(ボルト)の位置といった感じかな。
元々M61が電動及び油圧駆動なので電気式スイッチ(トリガー)への改造が容易だったのかも。

上述の通り機関砲による機雷破壊はあまり効率が良くなく、代わりに主力となったのが無人機による処理です。


75式機雷処分具 「S-4」

「はつしま型」などに搭載された遠隔操作無人探査機(ROV)で、ペルシャ湾掃海(1991年)などで活躍しました。

処理具としてはかなり古い装備で機雷感知ソーナーもテレビカメラも搭載しておらず、母艦のソーナー情報を頼りに
有線誘導によって機雷に接近、処理用爆雷(画像手前の丸い物体)を投下し誘爆させ破壊します。
機雷に爆雷を当てるとか結構派手ですね。ワイヤー切断機能が無いので対応できるのは沈底機雷のみらしいです。


機雷処分具(掃討具)の進化の歴史

超音波水中映像装置、光ファイバー通信など新技術を取り込み進化。途中から「掃討具」と名称も変わりました。

昨今では陸自や空自にて無人機の導入が話題ですが、海自の掃海分野では既に無人化が進んでいたんですね。

と言うか黄色いボディの水中マシンという点がサンダーバード4号っぽいな!


ヘリコプターによる掃海

機雷敷設海域に掃海艇が進入するのが困難な場合、ヘリによって空から機雷を処理しようというのがコンセプトです。
ヘリから掃海具を懸吊し機雷敷設海域上空を飛行、掃海具から発せられる磁気や音響によって機雷を破壊します。
航空用掃海具の種類としてはワイヤー式のMK-103、音響式のMK-104、磁気式のMK-105などがあります。

海上自衛隊における航空掃海の歴史としては1974年(昭和49年)2月16日に千葉県・下総航空基地に
「第111航空隊」が新編されます。海上自衛隊唯一の航空掃海部隊として発足し当初は掃海へりとして
「バートル V-107A」を運用していました。(1990年には大幅に性能アップしたMH-53Eに機種変更)
その後1989年(平成元年)9月1日に第111航空隊は山口県・岩国航空基地に移転し現在に至ります。
明日、岩国基地(第111航空隊とMH-53E)を見学予定の自分としては非常にタイムリーなネタです。

MH-53Eについては岩国航空基地フレンドシップデーでリポートしてるのでそちらをご参照下さい。


掃海電線

当初は掃海艇の運用具(岸壁への係留索)かと思いましたが、「掃海電線」という立派な掃海処理具でした。
使い方としては伸ばして曳航しケーブルに電流を流すと磁気が発生。機雷を誤作動させ爆発させるらしい。


電線の断面図

内部には金属線がバッチリと詰まってます。機雷処理にも色んな方法があるんですね。


戦後自衛隊にとって初の海外実任務  「ペルシャ湾派遣」 (湾岸の夜明け作戦)

1991年に勃発した湾岸戦争の事後処理として海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣されました。
戦後の自衛隊にとって初の海外実任務であり、自衛隊の存在感を世界に示す記念すべき出来事でした。
一般的には「ペルシャ湾派遣」と呼ばれていますが自衛隊内では「湾岸の夜明け作戦」という名前だったらしい。


ペルシャ湾派遣で活躍した装備など

「はつしま型掃海艇」の22番艇「MSC-670 あわしま」で運用されたオロペサ型掃海具。
掃海具には隊員が描いたお茶目な落書き。危険な現場でも心のゆとりを忘れていません。


ニコン製の記録用カメラ

ペルシャ湾派遣(湾岸の夜明け作戦)を撮影し続けた戦場カメラ。撮影枚数は39000枚にもなるそうです。
この時代のカメラなので当然フィルム式かと。(ちなみに自分が現在使ってるカメラはフジフィルムです)


こうして1991年9月11日に海上自衛隊によるペルシャ湾での機雷掃海任務は終了。
戦果としては沈底機雷21個 係維機雷13個を処分。3ヶ所の航路帯を拡幅しました。


自分にとって機雷掃海って関心の薄い分野でしたが、今回のリポートを作成する為に情報を収集し
機雷掃海は海自にとって重要な任務である事を再認識しました。
呉史料館の2F、機雷掃海の紹介は海自の歴史を知る上でとても有意義なフロアですね。



それでは次は3F、潜水艦の紹介に行きたいと思います。
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