上田飛行場跡 & 仁古田飛行機製造地下工場跡
2014.8.15

本日8月15日は69回目の終戦記念日です。過去の終戦記念日では軽く黙祷を捧げる程度でしたが、
ここ1〜2年で「ミリタリーマニアとして太平洋戦争への理解を深めるべき」という意識が高まっており
「今年の終戦記念日は太平洋戦争についてより踏み込んでみよう」と考えるようになっていました。

そこで長野県内に存在する軍事遺跡や基地跡などを調べてみようと思い、上田市にある
「上田飛行場跡」と「仁古田飛行機製造地下工場跡」の2ヶ所に足を運んでみました。

まずは「上田飛行場跡」です。

現在は「上田千曲高等学校」の敷地となっていますが、かつてはここに「上田飛行場」が存在していました。

飛行場の歴史について簡単に説明すると1931年(昭和6年)10月17日に「上田市営飛行場」として開場。
その後1933年(昭和8年)4月3日に飛行場を陸軍に献納し「陸軍上田飛行場」と命名されます。
この時の規模は土地面積40092坪、主な利用者は陸軍各飛行場(所沢、熊谷、浜松、下志津など)や
朝日新聞社などの民間航空会社で、年間飛来機数は200〜300機だったそうです。
飛行場は随時拡張が続けられ、最終的には17万坪にまで拡張されたらしいです。

その後1937年(昭和12年)に「陸軍熊谷飛行学校 上田分校」として改編されます。
※「旧正門跡」ってのは陸軍飛行場ではなく千曲高校としての正門跡って意味だと思います。

飛行場の詳細としては「九五式練習機」などが配備され、航空機搭乗員の育成を行っていたらしいです。
そして戦争末期には特攻隊の出撃基地としても運用されたそうです。その後は戦局の悪化に伴い日本本土空襲が激化、
1945年(昭和20年)8月13日には長野市の「長野飛行場」と共に大きな空襲(通称:長野空襲)を受けました。
この空襲についてミリタリー的に補足すると米海軍のエセックス級空母2隻(ハンコック、ベニントン)より発艦した
「F4U コルセア」及び「F6F ヘルキャット」など合計62機による機銃掃射や爆弾投下が行われたらしい。
余談ですが米軍による攻撃優先順位としては長野市が64位、上田市が144位だったらしく
空爆は長野飛行場がメインで上田飛行場は”ついで”だったという話も・・・

そして1945年(昭和20年)8月15日終戦。土地や建物は米軍及び大蔵省の管理下に入りました。


近くには飛行場跡の碑がありました。元飛行場関係者らにより昭和60年に建立されたそうです。



石碑に当時の歴史を紹介した文章がギッシリと彫られています。歴史については上述しましたが
他にも細かい情報が記載され歴史的に価値のある史料となっています。例えば

元々この土地は千曲川の水害による荒れ地となっていて、上田市はここを耕作地とすべく
国から二万八千六百円(現在価格で約300万円?)の融資を受け、昭和6年3月に工事を
開始しますが地質が耕作用には不適当と判明した為、飛行場として利用すべく工事内容を変更。
同年年6月1日に完成します。この時の所有者は朝日新聞社(東京〜新潟の定期航空便)でした。
その後上田市がこの飛行場を四万四千八百四十四円(現在価格で約450万円?)で買収。
昭和6年10月17日、「上田市営飛行場」として改めて開場します。(上述の歴史)


上田飛行場跡(千曲高校)を別角度から

戦後の平和の象徴、高校生達が部活動に励んでいました。(この写真には写ってません。多分休憩中)
戦争の記憶が風化しつつある現代。せめて千曲高校の生徒達には自分が通ってるこの高校が
かつては軍の施設だったという事を知り、慰霊と敬意の気持ちを後世に伝えてほしいですね。


次は「仁古田飛行機製造地下工場跡」です。

上田市の郊外、国道143号から奥に入った所に存在します。子供の頃にこの付近を通りかかった際は
「へー、ゼロ戦を作ってたんだー、すげー」という「日本軍機=全てゼロ戦」という小学生並の感想でした。


地下工場へと続く道

草不可避。上田市(地元の保存会?)がまともに管理していないのか、道中は草だらけでした。
しかもこの時サンダル履きという軽装だったのでマムシとかに足を噛まれないか心配しながら慎重に進みました。


険しき道を進んでいくと案内看板が・・・


地下工場の詳細

看板でも説明されている通り「三菱重工業・第五製作所」の地下工場として工事が進められていました。
工事が開始されたのが昭和20年6月との事なので実際の工事期間は2ヶ月という事になりますね。

子供の頃の「ゼロ戦を作ってたんだー」という感想は三菱という点では間違いではありませんが
実際には陸軍向けの航空機の工場だったみたいです。詳細は後述します。


更に奥に進むと地下工場の入口が見えてきました。



地下工場への入口

案内看板に書いてあった通り崩落の危険があるので鉄格子でガードされ立ち入り禁止になっています。
この地下工場の工事について調べた所、当時の運輸省が担当していたらしいです。何で運輸省だったのかと言うと、
前身である鉄道省が丹那トンネルを完成させた実績があり、掘削工事のノウハウを持っていたからだそうです。
更に現場での工事に関しては地元の「西松建設」という会社が請け負っていたらしいです。


坑内の様子

経年劣化により崩落しそうな壁面は勿論ですが、個人的には溜まった雨水の内部が気になりますね。
溜まった雨水をポンプで排水する、もしくはスキューバで潜水すれば更なる通路が繋がってるかも・・・?

上述の通り三菱重工業の地下工場として工事が進められていた訳ですが、もう少し詳細に書くと
どうやらエンジンの製造を主目的とした施設だったらしいです。更に一説によるとそのエンジンは
陸軍の試作双発戦闘機「キ83」に搭載予定だった「ハ211ル」だったという話も・・・



以上、「上田飛行場跡」と「仁古田飛行機製造地下工場跡」のリポートでした。
長野県人として「昔、上田市に日本軍の飛行場関連施設があった」程度の認識でしたが
こうして実際に現地に足を運んで実物の遺跡を目の当たりにし、そして情報収集をする。
これらはすごく有意義な事だと実感しました。終戦記念日に相応しい1日だったと思います。



※余談
今年は終戦69周年であり個人的に太平洋戦争に対する関心が高まっていたので
自分の最も身近にいるかつての日本軍人、つまり祖父に当時の話を聞きました。
結論から言うと大日本帝国陸軍の「少年飛行兵」という身分だったそうです。
これに関しては詳細を調査していずれ紹介したいと思います。


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