大日本帝国陸軍 満州戦没者 慰霊碑
2019.8.15


皇紀2679年8月15日。本日は戦後74回目の終戦記念日です。そして元号が「令和」に改元してから初の終戦記念日でもあります。「終戦記念日には戦争遺跡を見学する」
という自分なりの目標を決めてから早いもので今年で6年目を迎えました。今回は長野市にある大日本帝国陸軍の満州戦没者に関する慰霊碑をリポートしたいと思います。


某コンビニの駐車場の一角に佇む慰霊碑
 
長野市内にある某コンビニの駐車場の一角に今回リポートする慰霊碑は存在しています。実はつい最近までこの慰霊碑の存在を全く知らず、仕事で長野市を訪れた際に偶然見つけた物です。


慰霊碑に刻まれた戦争の記憶を辿る

2つの慰霊碑が並んでいますが両方とも満州に関する物です。どうやらこの地(長野市)から満州に出兵し戦死した者を悼む為に建てられたみたいです。

満州かー、ただでさえ太平洋戦争の歴史に疎い自分にとっては完全に未知のエリアです。「かつて中国大陸の北東部に存在していた地域で、一時的に日本が
満州国(1932〜1945)として占領・統治してて陸軍の主な出兵先の1つだった」程度の知識しかないです・・・ とりあえず慰霊碑の詳細を見てみましょう。


右側の慰霊碑

慰霊碑の裏面には建立の経緯が彫刻されています。それによると


この慰霊碑に名前が刻まれた人物は
昭和18年(1943年)4月に満州国の
三江省で行われた戦闘に於いて敵の銃弾を
何発も受けつつも勇敢に進撃して戦死。

その功績を称え「勲六位景雲章」を授与された。


・・・的な事が説明されていました。

年代的に考えると日中戦争の最中であり、現地で戦死した
陸軍(関東軍)の兵士の慰霊碑みたいですね。

戦闘の相手は中華民国(中国共産党)や連合国(アメリカ・イギリス)で、
結果としては日本軍(関東軍)が敗北を喫しました。



左側の慰霊碑

こちらの慰霊碑にはあまり多くの事が記されておらず
読み取れる情報は少ないんですが


明治38年(1905年)3月に満州にて
戦闘が行われ陸軍の上等兵2名が戦死。


・・・的な事が説明されていました。

明治38年(1905年)とはかなり昔ですねー。
年代的に考えると日露戦争という事になりますね。

そして3月に行われた戦闘との事なので調べてみると
「奉天会戦」という戦闘だった可能性があります。

相手はロシア帝国で、結果としては日本軍が勝利しました。

日露戦争と言うと日本海軍がバルチック艦隊を撃破した
「日本海海戦」が有名ですが、「奉天会戦」も非常に大規模な
地上戦闘だったらしく戦史研究者の間では有名みたいです。


今回の目的である「終戦記念日には戦争遺跡を見学する」とは
主に太平洋戦争が想定範囲だったので、今回の日露戦争に
関する慰霊碑の発見・見学は完全に予想外ではありましたが、
太平洋戦争以前の戦争の歴史を知る良いキッカケとなりました。


5つの時代を超え戦争の歴史を後世に伝える慰霊碑
 
この2つの慰霊碑は100年以上前の明治時代からの戦争の記憶を後世に語り継ぐ物です。そして今年で明治→大正→昭和→平成→令和という5つの時代を迎えた事になります。


終戦記念日と言うと先の大戦(太平洋戦争)ばかりが注目されがちですが、それ以前にも日中戦争、日露戦争など多くの戦争が勃発しており、その度に多くの人命が失われてきました。
今回の満州戦没者慰霊碑の見学は近代の戦争を振り返り、その悲惨さを知り、過ちを反省し、当時の人達の想いを現代に語り継ぐべきという意味で中々に有意義な見学となりました。


ランチはお好み焼き
 
戦争遺跡の見学を終えて「さーて、昼食は何を食べようかな〜」と市内をブラブラしてたらごっつええ感じのお好み焼き屋を発見。今年の5月に大阪・道頓堀に行ったにも関わらず現地で本場のお好み焼きを
食べなかったので今回改めて喫食。具材は豚、エビ、イカ、チーズです。ワクワクしながら焼いたんですがひっくり返すのに失敗してグチャグチャの状態に・・・ まぁ形は悪いですけど美味しく食べましたよ。


この後は長野市内をブラブラしつつ軽くショッピングして帰宅。最近は夏バテが酷くてほとんど動いていないにも関わらずスゲー疲れましたよ・・・ 来年夏の戦争遺跡見学がちょっと心配になってきますねー・・・


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