聖博物館
2015.8.3

今回は長野県東筑摩郡麻績村にある「聖博物館」に行ってきました。長野県の山奥に存在する、知ってる人しか知らないマイナーな博物館です。
事前情報としては「F-104や戦艦陸奥の主砲が展示されている」との事でしたが、「こんな山奥にホントにあるんかい?」と正直半信半疑でした。

今回の訪問ですが実は完全に予定外の訪問でした。と言うのもこの日仕事で長野市から辰野町に向かう必要があり国道403号を
通ったのですが聖博物館はその道中にあり、時間的にも余裕があったので「じゃあ、ちょっと寄ってってみようか」と思った次第です。
つまりプライベートな戦争遺跡見学ではなく会社の休憩時間を利用した訳です。サボリじゃないですよ!

上述の通り長野県の山奥にあるマイナーな博物館。期待と不安が入り混じりつつ行ってみると・・・

ホ、ホントにあったー!  山奥にパラダイスは存在した!
これには結構マジで驚きそして感動しました。長野県の山奥にこんな素晴らしい場所があったなんて・・・

写真の通り展示品の多くが野外展示であり無料で見学&触れるという所がポイント高いですね。
他に特筆すべき点としてはマイナー故に見学客が少ないのでのんびり見られるという事。
(平日とは言え)自分が訪れた際には他の見学客は誰もおらず、この航空機達を1人占めでした。


それでは各展示物を見ていきましょう。今回は予定外の訪問だった為に上等なカメラを持参しておらず、
スマホカメラで撮影した画像のみです。なので多少画質が悪いですが勘弁してください。


個人的に一番の注目作品である「ロッキード F-104J スターファイター」

ロッキード社が1950年代に開発した機体で強力なエンジンと極端に小さな主翼によるミサイルの様な外見が特徴。
1962年より航空自衛隊にて主力戦闘機(要撃機)として計230機が配備され活躍、1986年には全機退役しました。
生産についてはごく初期型は輸入でしたが、その後三菱重工によるライセンス生産に移行。製造元や外見に因んで
現場では「三菱鉛筆」という愛称もあったらしいです。(ちなみに空自における正式な愛称は「栄光」だそうです)


機体右側、上面など

エンジン1基分のスレンダーな胴体、小さな主翼、翼端に装備された大型の燃料タンクなど特徴的な外見です。
主翼が小さいので発生する揚力も小さく最低飛行速度は時速170km。「F-104は着陸が難しい戦闘機」として有名ですね。
その他独特の飛行特性により比較的事故率が高い機体で「未亡人製造機」という不名誉なあだ名も・・・


左後方から

機体に対して不相応とも言える大型のT字型尾翼が特徴。ただ尾翼が大きい=空中機動性が高いという訳ではないです。
そしてエンジンノズルがデカイ! と言うかエンジンに対して機体が小さい!という印象。
F-104の場合は「まずエンジンありきでそれに合わせる形で後からボディをデザインした」という感じがしますね。
写真を見ての通り本機体のシリアルナンバー「46-8608」です。


エンジンノズルを後方から覗いた図

F-104の心臓である「J79エンジン」が搭載されていたスペースです。J79は「F-4 ファントムU」のエンジンとしても有名ですね。
肋骨状に細かく区切られたフレーム、エンジンに燃料や作動油を供給する細かい管など複雑精密な内部構造に感動します。
ちなみに取り外されたエンジンはどこに行ったのかと言うと後述の博物館内に展示されています。


キャノピー

残念ながら年数経過による劣化が進んでおりコックピット内を鮮明に観察する事は出来ません。
野外展示品の宿命なのでどうしようもないですね。


F-104の紹介プレート

紹介プレートなのですが見ての通り文字が色褪せ解読が困難な状態です。雨風による劣化は勿論ですが
管理者である麻績村の予算的な意味で展示品の保全・修理が中々進まないのかも知れません。
ちなみに背後の銀色の物体ですがコレどうやら旅客機のフラップとかみたいです。拘ってますね。


「ノースアメリカン F-86D セイバー」

航空自衛隊にて1958年〜1968年まで運用されていた全天候戦闘機です。空自内では「月光」の愛称がありました。
配備数は122機で殆どがアメリカから供与された機体でした。機体先端の黒い部分にレーダーを装備した事が特徴で、
後述の「F-86F」のバリエーションの1つという扱いですが、実際にはほぼ新規設計の別の機体と言えます。
自分はこのこの時代の戦闘機には詳しくないのであんまり詳細なコメントは出来ないですね・・・


「ノースアメリカン F-86F セイバー」

1954年に航空自衛隊が創設され翌年1955年から配備開始、1982年まで運用されました。部隊内での愛称は「旭光」。
アメリカからの供与やノックダウン生産を含め435機が配備・運用され、日本の防空は勿論、「初代プルーインパルス」として
日本の空を彩ったり「ゴジラシリーズ」に出演するなど昭和の航空自衛隊を象徴する名機として活躍した機体です。

・・・まぁ自分は世代と好みが違うのであんまり情熱的に語れないんですけどね。
いつかは本機の魅力を理解する熟年ミリタリーマニアになりたいモノです。

ナンバリング的にはF型なので上述のD型よりは新しい機体なのですが
外見(特にD型のレドームの有無)によりコチラの方が古く見えるという錯覚。


「ビーチアエクラフト T-34A メンター」

航空自衛隊における練習機として1950年代にアメリカからの供与、及び富士重工によるライセンス生産により運用された機体。
当初は空自向けの練習機という位置付けでしたが、その後は陸自や海自においても練習機・連絡機として運用されました。

外見的にはごく普通のレシプロ機で戦闘機らしい厳つさなどは無し。個人所有とかにちょうど良さそうです。


「大日本帝国海軍 戦艦 陸奥 41cm主砲」

自分は帝国海軍には疎いんですが「陸奥」の轟沈については人並み程度には知ってます。
長門型戦艦の2番艦として1921年に就役。船体規模や武装面で人気が高い艦だったみたいですが
戦歴としてはそれほど大きな活躍してなかった模様。そして1943年6月8日に爆発事故により沈没。
海軍関係者及びマニアからすれば陸奥の轟沈は歴史的大事件だったそうですね・・・

で、写真の砲は陸奥の41cm主砲身です。正式名称は「四五口径三年式四○糎砲」で大正3年に制式化。
最大射程38km、有効射程25km、装填速度40秒/発という感じのスペックだそうです。

長門型戦艦は41cm連装砲を4基装備してたので陸奥に装備された41cm主砲身は全部で8本。
他の砲身は「船の科学館」や「大和ミュージアム」など立派な博物館に展示されているのに対し
長野県のこんな山奥に平然と展示されてる本個体はある意味スーパーレアな光景だと思います。


主砲尾栓部

自分は小火器が得意分野なので小火器の作動機構(装填・機関部の閉鎖・発射・排莢)はそこそこ理解してますが
これだけ巨大な砲だと作動機構とか発射のメカニズムとかよく分からないですね・・・
とりあえず人力で出来る部分は極僅かで大部分は機械による操作だと思います。


41cm主砲身の内部

砲身内の状態は比較的良好で施条(ライフリング)もしっかり確認できます。あるデータによると施条本数は84本で
砲身寿命は250発らしいです。小火器好きとしてはボア(山径)とグルーブ(谷径)を実測してみたいですね。
と言うか内部にゴミが溜まってるのが悲しい・・・ 当時は小柄な兵士が砲身内に直接入って掃除してたという話も・・・? 

上述の通り41cm主砲身は「船の科学館」や「大和ミュージアム」などにも展示されてますが、あちらは砲口が塞がれてる上に
台座等に上がって中を覗き込む事が不可能みたいなので、聖博物館の個体が如何に価値があるかという事を実感します。


41cm主砲弾

見るからに立派で重厚感あふれる主砲弾。「五式徹甲弾」もしくは「九一式徹甲弾」と思われます。
砲弾重量は約1000kgで初速は790m/s(マッハ2.3)との事なので
物理エネルギーがバケモノ級なのが容易に想像出来ます。
現代護衛艦の127mm砲がオモチャに見えますね。昔の軍艦ってスゴイ。


陸奥 舷窓

舷窓ひどく損傷しておりは轟沈時の衝撃を生々しく物語っています。他には錨鎖やボイラーの部品なども展示されてました。
これら展示品の残念な所は完全に野晒しで錆や風化が進んでる事。このまま朽ちさせるのは惜しい・・・


陸奥の主砲を保存するに至った趣旨

要約すると「戦争の悲惨さを忘れない為、そして優れた造船技術を未来に伝える為に保存した」的な感じです。
最後に書かれた「平和を欲するならば戦争を理解せよ」という文章が正論でミリタリーマニアとしても納得しました。


「D51形 蒸気機関車」

この辺は完全に専門外なのでコメント出来ないです・・・ 余談ですが父親が鉄道好きなので見れば喜びそう。


博物館

麻績村の歴史や文化を紹介する民俗資料館及び航空史料館です
元々は小学校だった建物を移築・復元したモノらしいです。入館料300円。
時間が無かったので館内見学はしませんでしたが窓から様子を見ると
「J79エンジン」などが展示されており中々面白そうでした。


航空資料館建設の趣意

要約すると「麻績村の歴史や文化の保存、そして航空技術の歴史の記録」だそうです。
教育や航空といった「未来の夢に繋がるポジティブな要素」を残そうという考えが素晴らしいですね。


聖湖

この辺一帯が「聖高原」と呼ばれる観光地であり、写真の聖湖はその中心的存在です。ヘラブナが釣れるらしい。
上述の博物館はこの湖畔にあります。他にもキャンプ場やスキー場もあるらしく夏のレジャー地としても楽しめそうです。



まとめ
今回仕事の都合で偶発的に立ち寄った聖博物館ですが
予想を超える素晴らしい発見と出会いに感激しました。
長野県の山奥にて航空自衛隊や帝国海軍の名装備の数々を見れた事は正に夢体験でした。
しかもご覧の通り綺麗な青空、豊かな自然、静かな環境などシュチュエーション的にも最高でした。
唯一の不満は立派なカメラを持参してなかった事と時間が無くて博物館内を見学できなかった事くらいです。

そして個人的に感心したのが各装備の保存の趣旨とそれを実現させた行動力です。
よく「戦争の悲惨さを忘れない為に当時の兵器や遺跡を保存しよう」という考えを見かけますが
これだけの規模の装備を展示・保管する地方自治体は中々無いと思います。
(ぶっちゃけ田舎である)麻績村という市町村レベルを考慮すると偉業とも言えます。
大胆な英断をした当時の村長や関係者に敬意と感謝の気持ちを送りたいです。

それと同時に現状に対する悲壮感や無力感を感じたのも事実です。
上述の様に野外には素晴らしい展示品が並んでいますが、塗装が色褪せていたり
部品が錆びている物も多く、正直手入れが行き届いてるとは言い難い状態です。
村の予算や人手不足などの理由により十分な保存活動が難しいのかも知れません。
ミリタリーマニアの長野県人としては何らかの手助けをしたい気持ちはありますね・・・

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